BSR001 – Cy Timmons – The World’s Greatest Unknown (LP)

¥0

・Private press classical guitar & voice only masterpiece from 1974.
・Mastered & half-speed cut by Miles Showell at Abbey Road Studios.
・Vinyl pressed via RTI.
・Designed by 4649.
・Comes with custom white G-Flute cardboard mailer box with a satin fabric heart sticker.
・Includes liner notes publishing a full-length interview conducted by Cedric Bardawil.

*Shipped from Japan.
*A special gift (the satin fabric heart sticker faithful to the 1974 original) comes with it.
*Limited to one per customer.
*Due to the impact of COVID-19, orders and customer service responses will be delayed.

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Side-A
1. Sunny Times (3:37)
2. Moonshine Wine (3:03)
3. How Could I Ever (2:04)
4. Never Ever (3:33)
5. Mama Let Go (3:47)
6. It’s Over (3:10)
7. I Can Still Smile (3:11)

Side-B
1. Wake Up (4:05)
2. Judy (3:48)
3. Nowhere (9:35)
4. The World’s Greatest Unknown (5:48)

Sample

Liner notes by 中原 仁 / Jin Nakahara (2020.7)

 自作自演の歌手を示すシンガー・ソングライターという呼称がUSAから日本に入ってきたのは、今から50年前、1970年頃のことだった。この年、ジェームス・テイラーのアルバム『スウィート・ベイビー・ジェームス』が発売されたのがきっかけのひとつだったと記憶している。
 前後してハリー・ニルソン、ジャクソン・ブラウン、ギルバート・オサリバン、バンドで活動していたがシンガー・ソングライターの集合体と言えるクロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤング、女性ではローラ・ニーロ、ジョニ・ミッチェル、キャロル・キングらが注目され、70年代初頭のポップス・シーンはシンガー・ソングライターが花盛りとなった。
 そんな時代にデビューしたシンガー・ソングライター&ギタリストが、サイ・ティモンズ。ただし、これまでに発表した3枚のリーダー作は全て自費出版で、当時は知られざる無名の存在だった。長い歳月の間に幻の名手としてマニアの間で話題となり、ここにリーダー作が復刻されるに至った。まずは、その横顔を紹介しよう。
 サイ・ティモンズは、1941年、ジョージア州アトランタ生まれ。親が好きだったアメリカン・スタンダードを聴いて育ち、小学校から高校まで合唱団に所属。その後、ジャズ・バンドの歌手となり、ギターの弾き語りも行なった。
 60年代後半、サンフランシスコ、ロサンゼルスで活動。知遇があったキングストン・トリオの創設メンバー、ボブ・シェイン(2020年1月没)の紹介で、フランク・シナトラやジュディ・ガーランドらを教えたヴォーカル・コーチ、ジュディ・デイヴィスに師事した。
 その後、アトランタに戻り、72年、スモール・バンドの編成でファースト・アルバム『Cy Timmons』を発表。そして74年、全編クラシック・ギターの弾き語りによるセカンド・アルバム『The World’s Greatest Unknown』を発表した。76年には同郷の女性歌手、マーガレット・ウェイクリーのリーダー作『Better Days』に参加、クラシック・ギターを演奏した。
 また、70年代中盤から11年間、アトランタの中心地でナイトクラブ、Cafe Erewhon(この名前はNowhereのもじり)を経営し、自身も毎晩、演奏していた。おそらく地元では相当な名士だったことだろう。
 98年、24年ぶりとなる弾き語りのサード・アルバム『Heaven’s Gate』を発表。また80年代末、アトランタの北東に位置する森林リゾート地帯、ノースカロナイナ州ハイランズに引っ越し、同地のOld Edward’s Inn Hotel and Spa内ラウンジで週末に歌っている。
 来年、80歳を迎える、今も現役のサイ・ティモンズの名前と音楽が、メジャーな音楽シーンに響いたことはない。しかし聴けば、彼の音楽はとても魅力的だ。伸びやかで、人柄がしのばれるハート・ウォーミングな歌声。ギターの確かな技術。作る曲も、さりげなく美しく品格があり、心に残る。もし彼がニューヨークやロサンゼルスで活動していたなら、必ずや街の噂になったことだろう。
 70年代前半のシンガー・ソングライター興隆期に “声とギター” だけ、しかもフォーク・ギターではなくクラシック・ギターを弾くという発想も大胆だ。しかも聴いていて珍しさを感じることなく素直に聴き通せるのは、本人が確信を持って、このやり方に取り組んでいるからこそ生まれる説得力だろう。
 ここで、とても興味深い彼の発言を引用する。バーで歌っていたキャリア初期、支配人からの要望を受けて「L-O-V-E」や「Night And Day」といった、ノレるようなジャズを加えていき・・・。
 ”そして「イパネマの娘」を聴いた時、これが私のサウンドになると確信しました。私はエレクトリック・ギターを売り、クラシック・ギターを買いました。こうして60年代からはボサノヴァが素地となり、また、私が声を使ってフルート、トロンボーン、シンセサイザー等の音を表現するのを聴いたことがあるかもしれませんが、そうしたジャズの即興性が個性となっていったのです。”
 ボサノヴァが素地とは驚きだ。エレキを売ってクラシック・ギターを自分の楽器に決め、ジョアン・ジルベルトが創造したギターの奏法の習得に励んだのだろう。
 ただ、サイのギターワークからは、ボサノヴァなどのブラジル音楽の要素もところどころ聴き取れるが、ストレートに影響が出ている箇所は少ない。彼のギターワークの中では、ロック、フォーク、ジャズ、そしてボサノヴァの要素も全て、原型が溶けてしまうぐらい一体化している。
 ブラジル、リオ生まれの音楽ボサノヴァが、USAの音楽シーンでブームになったのは60年代前半。スタン・ゲッツがジョアン・ジルベルト、アントニオ・カルロス・ジョビン、当時のジョアンの妻アストラッドと共演したアルバム『ゲッツ/ジルベルト』が発売され「イパネマの娘」が大ヒットしたのが1964年だった。
その後、ボサノヴァの楽曲の洗練された音楽性は、60年代後半、A&Mレーベルを中心とするソフト・ロックの、70年代後半にはマイケル・フランクスらのAORの、音楽的ヒントのひとつにもなった。サイ・ティモンズがボサノヴァに魅せられたのは世代的にも時代的にも自然なことだが、USAの音楽とのミックスを含めた自分の音楽としての生かし方が実にユニークで、これは大きく評価されていいと思う。
 たとえば「How Could I Ever」(A3)。典型的なワルツだが、ビートもコード感もブラジル的だ。「Never Ever」(A4)ではアルペジオで演奏するパートから、短いながらも小粋なサンバのビートに展開する。「Wake Up」(B1)のギターワークにもサンバのエッセンスがある。
 肉声の楽器化も駆使して声とギターの至芸を9分以上にわたって繰り広げる圧巻の「Nowhere」(B3)には、アイルト・モレイラやミルトン・ナシメントを思わせるヴォイス・パフォーマンスもあり、ギターのコードは時折、ミルトンのホームであるブラジルのミナスの音楽にも相通じる響きをかもしだす。ミルトンがフィーチャーされたウェイン・ショーターの名盤『ネイティヴ・ダンサー』の発売は翌75年なので、サイはこの時点ではミルトンの音楽をまだ聴いていなかった可能性も大いにあるが、だとしたらこれは素敵な偶然だ。
 『The World’s Greatest Unknown』とは、1974年の発売時点では、やや自虐的なタイトルだったかもしれないが、世紀が変わった今の時点では、逆にグッとくる。
 最近、サイ・ティモンズがOld Edward’s Inn Hotel ans Spaで歌っている映像を見た。来年で80歳とは思えない艶のある歌声で、映像に収録された1曲目は「イパネマの娘」だった。